オーストラリア総合情報館

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オーストラリアへ移住した 管理人ねこ による、オーストラリアに関する情報サイトです。オーストラリアの旅行、留学、ホームステイ、ワーキングホリデー、観光、ビザ、土産、文化、生活、不動産、スポーツ、食べ物、ワイン、動物、そしてシドニー、メルボルン、パース、ケアンズ、ゴールドコースト、ブリズベンなど丸ごと紹介しますね。
アボリジニ

アボリジニ〜オーストラリア政府の公式謝罪〜

日本でもニュースで取り上げられているようですが(例えばこれ)、本日(2008年2月13日)、オーストラリア政府はオーストラリア先住民に初の公式謝罪をしました。

このブログでも以前この記事で紹介しましたが、かつてオーストラリアではアボリジニの子供達を親から引き離して白人文化を強いる同化政策が行われていました。
その対象となってしまった当時の子供達は「Stolen Children(盗まれた子供達)」または「Stolen Generation」と呼ばれていて、一説には10万人を超す人数とも言われています。
アボリジニとしてのアイデンティティを奪い、アボリジニ文化継承において相当のダメージを与えたことは押して知るべしです。
が、それよりもなによりも、親元から子供を無理やりに引き離すという、アボリジニにとっては悲しい受難の歴史です。むごい話だと思います。

先の選挙によってオーストラリア新首相になったケビン・ラッド氏は、このアボリジニに対する同化政策に対して13日の議会で「子供と家族が受けた苦しみに謝罪する。」と述べました。

これはオーストラリア政府として初の公式謝罪です。
過去に、公人とされる人がそういった趣旨の発言をしたことはあっても(この記事を参考にして下さいね)、オーストラリア政府としての公式な謝罪発言はありませんでした。

ラッド首相は「このようなことは二度と起こってはならない。」とも述べたそうですが、本当に二度と繰り返してはいけないことですよね。

このアボリジニの悲劇。その時に起きただけの悲劇ではなく、後々もずっと、現在に至るまでその後遺症が深く残っているのも、オーストラリアのまた一面です。




アボリジニ〜キーティング前首相のレッドファーン演説〜

オーストラリアでは来る11月24日(土)が、オーストラリア連邦議会総選挙の投票日です。あと1週間を残すのみになって、選挙戦も加熱していますよ〜。

総選挙前の2007年11月現在、オーストラリアの首相はジョン・ウィンストン・ハワード(John Winston Howard)氏です。第25代のオーストラリア首相で、1996年から4期も首相を務めていますから、彼の名を御存知の方は多いかもしれませんね。
そのジョン・ハワード氏の前の首相、つまり第24代オーストラリア首相はポール・ジョン・キーティング(Paul John Keating)という人でした。首相としては評価が大変に分かれる人らしいのですが、この人のした事で良く評価されているらしい事の一つをきょうはご紹介しますね。

その行為とは、ある演説です。ポール・キーティング氏が1992年にシドニーのレッドファーンで行った演説です。

非アボリジニ系オーストラリア国民に呼びかける形のこの演説の内容は、
・先住民族アボリジニに対しての歴史的な不正義を謝罪し
・オーストラリア国家がアボリジニの土地を奪い、その文化を破壊してきたことを認めることを訴え
・マボ判決を支持し
・民族和解に向けて皆が心を開こう

というものです。

「マボ判決」というのは、先住民族の1つであるトレス諸島民のエディ・マボと、クイーンズランド州政府との間に起こった、マレー島という小島の所有権を巡る争いにおける判決です。連邦最高裁が出したこの判決は、「アボリジニ、トレス諸島民はもともとの土地所有者であり、先住者としての土地に対する権利(native title)は白人の入植によっても否定されていない。」という内容で、つまり、先住民族アボリジニの土地の所有権を認めるものです。

アボリジニに対しての歴史的な不正義については、この記事この記事を参考にしてくださいね。

このキーティング氏の演説によって世論が大きく変わったのかというと、そうゆう訳にもいかないようです。この内容に反動するかのような過激な動きもあったようですし、今現在だって差別が無いとはいいきれませんからね。

でも、公の場でこうゆう発言があったことは評価されるべきことなんでしょうね。

少し前になりますが、2007年4月にABCラジオが全国5,000人の聴視者の意見をまとめたところ、「最も感銘を受けた記憶に残る演説」の第3位に、このキーティング氏のレッドファーン演説がランクインしたそうです。
因みに
第1位は、マーティン・ルーサー・キング氏の「私には夢がある」という演説
第2位は、イエス・キリストの「山上の垂訓」
で、キーティング氏の演説はオーストラリア人の演説としては第1位だったそうです。

アボリジニの歴史〜Stolen Children(盗まれた子供達)〜

少し前の話になりますが(確か今年はじめだったと思います)、シドニー大学でアボリジニ言語集中講座という新しいコースが開講したというニュースがありました。はるか昔には270にものぼる言語があったといわれるアボリジニ言語ですが、その新コースでは2言語だけを教えるということでした。
数は少ないですが、大学の講座となったということは大変よいことでしょうね。

このコースの受講者、実は当のアボリジニ達の受講も望まれたそうで、実際多くのアボリジニも受講したそう。アボリジニ本人達でさえ、自分の所属するグループの言語がよく分からないという人が多いそうです。自分の文化を知るということはアイデンティティの確立につながりますし、文化の継承にも役立ちます。というか、言葉の継承そのものが、文化の継承の一つの形でしょうね。

さて、アボリジニ達がその言語や文化を失ってきているというのは、よく聞きます。
理由は様々あるでしょうが、その一つとして言われているのが「Stolen Children(盗まれた子供達)」という、ある世代のアボリジニ達です。「Stolen Generation」とも呼ばれています。

オーストラリアでは1915年から1969年まで、政府とキリスト教会の主導の下、アボリジニの子供を親から強制的に引き離して寄宿舎などの諸施設で養育するという政策が行われていました。
アボリジニの子供といえども、白人の進んだ文化のもとで教育を受け、文明社会に適合する立派な人間となるようにという考えだったそうです。アボリジニを劣等な民族として、その文化を劣等な文化としている思想が見え隠れしています。また、彼らアボリジニを尊重する念はなく、白人への同化を強要しているように思えます。

親子が引き離されるわけですからひどい事ですよね。勿論、アボリジニ達の同意はなかったそうです(当たり前ですよね)。でも、これは議会で承認を受けて立法化されたれっきとした政策だったために、堂々と54年にもわたって実施されていたんです。この間に親元から引き離されたアボリジニの子供達の数は、一説には、10万人を超すといわれているそう。

その子供達が「Stolen Children」「Stolen Generation」と言われています。強制的に西欧化させる政策がうまくいったとはあまり言われていませんが、彼からアボリジニとしてのアイデンティティを奪ったのは確かだったようです。その人数の多さからも、アボリジニ文化継承においてのダメージは相当だったでしょうね。


この隔離同化政策を扱った映画があります。邦題は「裸足の1500マイル」。強制的に収容所に入れられたアボリジニの少女3人が、母親の元に帰る為に、故郷目指して歩き続ける話です。
オーストラリア西部を5000マイルにわたって縦断するウサギよけのフェンス(当時ウサギが大繁殖して牧畜に被害が出たので設けられた)をたよりに、追跡されながらも、大自然の中を歩き続けた少女達のお話です。

実はこれ、実話です。
後年、少女達の1人であった方が書いた「Rabbit Proof Fence(ウサギよけフェンス)」という本が原作。
ご覧になった方も多いんじゃないでしょうか。

因みに1500マイルというのは、キロに直すと2400キロ。稚内から那覇までの距離です。過酷な状況の中、母会いたさにそんな距離を歩いた少女達がいたんだと思うと、改めてこの政策のむごさを感じますね。

アボリジニの受難〜悲しい歴史〜

昨晩何気なく大好きなアニメーションを見ていて、鼻血が出る程、飲んでたコーヒーを噴出しそうになる程驚いたことがありました。

大好きなアニメなのに・・・、このオーストラリア総合情報館でもわざわざカテゴリーまで作っているのに・・・、何度もDVDを見ているのに・・・・、あぁなんということでしょう、ねこは間違ったタイトルで記憶して記事まで書いていました

ねこが書いたこの記事で、ねこは「南の島のフローネ」って書いているんですが、正しくは
家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ
です。
ねこと同じくこのアニメのファンの方々、製作した日本アニメーションさん、ごめんなさいごめんなさい。
早速、カテゴリー名は正しい名前に変えました。記事中のものについては、この記事との関連上そのままにさせてください。すみませんすみません。

いやはや、本当にビックリしました。10年以上もの間、まちがったタイトルで記憶していたなんて!しかも何度もDVD見ているのに!
大変失礼しました。


さて、今回は「ふしぎな島のフローネ」に関連して、アボリジニの話題です。

スイスからオーストラリアに向かう途中、難破によって無人島に流れ着いたフローネ一家が、その無人島生活が1年を迎えた頃に、新しい難破仲間を迎え入れます。
1人は白人のモートンさん、もう1人はアボリジニの少年タムタムです。

モートンさんがフローネのお父さんに、
「タムタムは両親を白人に殺された。オーストラリアに来る白人は、銃を振り回して、先住民の土地を奪って、反抗する先住民は容赦無く撃ち殺す。」
といった事を話します。
タムタムは、トミーと呼ばれるのを嫌がります。理由は、トミーという名は白人がくれた名前だから。

アニメとはいえ、アボリジニの受難の歴史を語っている場面です。アボリジニの人たちの様々な受難の話は聞くと心が痛みます。
先住していたにもかかわらず土地を追われたり、もともと免疫の無い病気を移住者達からうつされたり、中にはスポーツハンティングとしてアボリジニを殺した輩もいたとか。
その他様々な迫害を受けてきているんですね。
実は現在もアボリジニの受難の話(差別とか)は聞きます。オーストラリアが抱える社会問題の一つでしょうね。

アボリジニに関する問題は、アボリジニ本人達、オーストラリア社会、様々な角度から色々とあるようです。


ねこは以前バスに乗っていたときに、たまたまアボリジニのおじさんと隣り合いました。浅黒い肌の色で、誰にとも無くしゃべっていて、大き目の声で、ちょっとロレツがまわっていなくて、少なからず恐怖心を持ってしまったねこは硬くなって座っていました。

もともと飲酒文化を持たないアボリジニはアルコールにとても弱いらしく、他の原因もあるのでしょうがアルコール中毒に陥る人も多いらしいです。
そのおじさんがそうだったのかは分かりませんが、「酔っているのかな?」と思わせるものがありました。

ふとおじさんの膝がねこの足にあたった時に、おじさんはねこにちゃんと謝ってくれて、
そして少し会話したんですね。おじさんの口調はロレツがまわってなくて聞き取りづらかったのですが、ねこが日本人だと分かると「日本人は大好きさ」とか、自分はアボリジニで名前はコレコレでその由来はナントカでとか、酔っ払いながらも一生懸命しゃべっていました。すごく人懐こい感じがしましたね。ねこは「へぇ〜そうなんですか〜」とか「素敵な話ですね」なんて相槌をうっていました。

バスの通路を挟んだシートに座っていた若い白人の女性が、おじさんにむかって「次で降りるのよ」と優しく話しかけて、ちゃんとカバンを持つように、忘れ物がないように世話をやいて2人して降りていきました。そして、その女性はねこに向かって、まるでアリガトウとでもいうようにやさしく目配せをしていきました。
どういった事情があるかは全く分かりません。
人懐こそうな気のよさそうなおじさんでした。その外見と風体から最初に恐怖心を持ってしまった自分に対して何ともいえない感情を持ちました。また、明らかにアボリジニのおじさんに冷たい目線を向ける人がいたのを見てしまったのも少々ショックでした。


ねこもオーストラリアに住むマイナーな人種の一人ですが、マイナーゆえの不利というのは少なからず感じることはあります。でもそれと、アボリジニの人達の受難とはきっと別物なんでしょうね。アボリジニのことをねこは深くは知らないし、知り合いもいないので実情は分かりませんが。


オーストラリアのお土産品としてアボリジニ関連の物は人気があり、その方面でアボリジニというのは有名だと思いますが、そういった側面があることも心の片隅にとどめていてもいいかもしれませんね。

アボリジニ〜1、2、3の次は沢山?〜

突然ですが、「家族ロビンソン漂流記 南の島のフローネ」というアニメを覚えていらっしゃいますか?世界名作劇場のアニメだったのですが、調べてみたら1981年の作品でした。
スイスからオーストラリアに向かう途中に船が難破したロビンソン家族が無人島に流れ着き、一家5人力を合わせて無人島での生活を送り、最後には脱出しオーストラリアにたどり着くお話です。フローネはロビンソン家の長女の明るくお転婆な女の子で、このお話の主人公です。
ねこはこのアニメが大好きで夢中になって見ていました。思えばオーストラリアというものを意識したのは、このアニメがはじめだったように思います。

で、お話の後半に、新たな漂流者が2名登場するんですが、その内の1人がタムタムという男の子なんです。このタムタム、褐色の肌で縮れた髪の毛に描かれているんですね。
そうです。タムタムはオーストラリアの先住民、つまりアボリジニの男の子なんですね。
ねこにとってタムタムは初めてみたアボリジニでした。(まぁ、アニメなんですが・・・

話の途中で、タムタムがフローネ達きょうだいと勉強をする場面があります。その場面でタムタムは「4」の意味が分からないんですね。「1、2、3の次は沢山」といって周りを驚かせます。
「オーストラリアの先住民は数を3つまでしか数えない。生活をしていくのに3つ以上の数を数える必要がない。」というフローネの聞きかじりの解説がはいり、「3まででいいなんて愉快な算数だな〜。」というフローネのお兄さんの言葉が続きます。
ねこは思いましたね。「ホントに!」

アボリジニ達は本当に「1、2、3、沢山」という数の数え方をしていたのでしょうか?
アボリジニの独特な世界観を知ると、「そうかも・・・」と思ってしまいます。
これから勉強していくとしましょう。

誰かご存知の方はいますか?

オーストラリアの歴史〜最初の居住者アボリジニ〜

オーストラリア大陸の先住民であるアボリジニのルーツは、東南アジアから移住してきた人々だといわれてます。時は約5万年前。当時は海面が今よりも200m低く地続きであった為に、アボリジニの祖先となる人々は移住できたといわれているそうです。

移住してきた人々は着々とオーストラリア大陸全土に散らばって部族毎それぞれの生活を営んでいったそうです。

地理的にはその後の海面の上昇によってオーストラリアは一つの孤立した広大な大陸になりました。この孤立した地理的環境がアボリジニ独特の生活を生み出したそうです。

狩猟や採集による生活を営んでいたアボリジニには、後にアジア大陸で始まった農耕文化は伝わらず、その後も長い間ずっと狩猟・採集生活を続けてきたそうです。その自然の恵みに頼るアボリジニの生活が、彼ら独特の世界観を形成しました。その自然崇拝的な彼らの世界観からなる独特な生活様式や文化を伝えるべく生み出された歌や踊りや絵もまた独特なものです。

また、ひとくくりにアボリジニといっても多数の部族があり、それぞれに言語も文化も違います。アボリジニがオーストラリア全土に広まる過程で、様々に固有文化が派生したようで700を超える数の部族がいたそうです。

オーストラリアの文化〜アボリジニ文化〜

オーストラリアの文化を考える上で、先住民アボリジニの存在や彼らの文化は欠かせないものでしょう。

自然を崇拝し、彼らアボリジニも自然と一体であるという考えのもとに、アボリジニ独特の世界観が培われてきたそうです。彼らの自然への敬愛を表現した歌や踊りや壁画は、現在ではオーストラリアの芸術文化の一角を占めています。

アボリジニの音楽では、ディジュリドゥ(Didjeridu)という重低音の木管楽器が代表的な楽器です。アボリジニの音楽は、いわゆるワールドミュージックとして、いまやアボリジニのみに留まらずに世界中にその存在を知られています。

壁画はロックアート(Rock Arts)として認知されています。アボリジニは部族の数が非常に多く共通の美術様式がある訳ではないものの、生活の知恵や教えを伝承する為に岩肌に壁画を残しました。その独特で素朴な美術様式がアボリジナル・アートと呼ばれています。
■オーストラリア総合情報館でお伝えしたいこと

オーストラリアへ移住した 管理人ねこ です。移住して、「さあ、これから!」ということで、オーストラリアで奮闘しています。


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