オーストラリア総合情報館

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オーストラリアへ移住した 管理人ねこ による、オーストラリアに関する情報サイトです。オーストラリアの旅行、留学、ホームステイ、ワーキングホリデー、観光、ビザ、土産、文化、生活、不動産、スポーツ、食べ物、ワイン、動物、そしてシドニー、メルボルン、パース、ケアンズ、ゴールドコースト、ブリズベンなど丸ごと紹介しますね。
歴史

アボリジニ〜キーティング前首相のレッドファーン演説〜

オーストラリアでは来る11月24日(土)が、オーストラリア連邦議会総選挙の投票日です。あと1週間を残すのみになって、選挙戦も加熱していますよ〜。

総選挙前の2007年11月現在、オーストラリアの首相はジョン・ウィンストン・ハワード(John Winston Howard)氏です。第25代のオーストラリア首相で、1996年から4期も首相を務めていますから、彼の名を御存知の方は多いかもしれませんね。
そのジョン・ハワード氏の前の首相、つまり第24代オーストラリア首相はポール・ジョン・キーティング(Paul John Keating)という人でした。首相としては評価が大変に分かれる人らしいのですが、この人のした事で良く評価されているらしい事の一つをきょうはご紹介しますね。

その行為とは、ある演説です。ポール・キーティング氏が1992年にシドニーのレッドファーンで行った演説です。

非アボリジニ系オーストラリア国民に呼びかける形のこの演説の内容は、
・先住民族アボリジニに対しての歴史的な不正義を謝罪し
・オーストラリア国家がアボリジニの土地を奪い、その文化を破壊してきたことを認めることを訴え
・マボ判決を支持し
・民族和解に向けて皆が心を開こう

というものです。

「マボ判決」というのは、先住民族の1つであるトレス諸島民のエディ・マボと、クイーンズランド州政府との間に起こった、マレー島という小島の所有権を巡る争いにおける判決です。連邦最高裁が出したこの判決は、「アボリジニ、トレス諸島民はもともとの土地所有者であり、先住者としての土地に対する権利(native title)は白人の入植によっても否定されていない。」という内容で、つまり、先住民族アボリジニの土地の所有権を認めるものです。

アボリジニに対しての歴史的な不正義については、この記事この記事を参考にしてくださいね。

このキーティング氏の演説によって世論が大きく変わったのかというと、そうゆう訳にもいかないようです。この内容に反動するかのような過激な動きもあったようですし、今現在だって差別が無いとはいいきれませんからね。

でも、公の場でこうゆう発言があったことは評価されるべきことなんでしょうね。

少し前になりますが、2007年4月にABCラジオが全国5,000人の聴視者の意見をまとめたところ、「最も感銘を受けた記憶に残る演説」の第3位に、このキーティング氏のレッドファーン演説がランクインしたそうです。
因みに
第1位は、マーティン・ルーサー・キング氏の「私には夢がある」という演説
第2位は、イエス・キリストの「山上の垂訓」
で、キーティング氏の演説はオーストラリア人の演説としては第1位だったそうです。

アボリジニの歴史〜Stolen Children(盗まれた子供達)〜

少し前の話になりますが(確か今年はじめだったと思います)、シドニー大学でアボリジニ言語集中講座という新しいコースが開講したというニュースがありました。はるか昔には270にものぼる言語があったといわれるアボリジニ言語ですが、その新コースでは2言語だけを教えるということでした。
数は少ないですが、大学の講座となったということは大変よいことでしょうね。

このコースの受講者、実は当のアボリジニ達の受講も望まれたそうで、実際多くのアボリジニも受講したそう。アボリジニ本人達でさえ、自分の所属するグループの言語がよく分からないという人が多いそうです。自分の文化を知るということはアイデンティティの確立につながりますし、文化の継承にも役立ちます。というか、言葉の継承そのものが、文化の継承の一つの形でしょうね。

さて、アボリジニ達がその言語や文化を失ってきているというのは、よく聞きます。
理由は様々あるでしょうが、その一つとして言われているのが「Stolen Children(盗まれた子供達)」という、ある世代のアボリジニ達です。「Stolen Generation」とも呼ばれています。

オーストラリアでは1915年から1969年まで、政府とキリスト教会の主導の下、アボリジニの子供を親から強制的に引き離して寄宿舎などの諸施設で養育するという政策が行われていました。
アボリジニの子供といえども、白人の進んだ文化のもとで教育を受け、文明社会に適合する立派な人間となるようにという考えだったそうです。アボリジニを劣等な民族として、その文化を劣等な文化としている思想が見え隠れしています。また、彼らアボリジニを尊重する念はなく、白人への同化を強要しているように思えます。

親子が引き離されるわけですからひどい事ですよね。勿論、アボリジニ達の同意はなかったそうです(当たり前ですよね)。でも、これは議会で承認を受けて立法化されたれっきとした政策だったために、堂々と54年にもわたって実施されていたんです。この間に親元から引き離されたアボリジニの子供達の数は、一説には、10万人を超すといわれているそう。

その子供達が「Stolen Children」「Stolen Generation」と言われています。強制的に西欧化させる政策がうまくいったとはあまり言われていませんが、彼からアボリジニとしてのアイデンティティを奪ったのは確かだったようです。その人数の多さからも、アボリジニ文化継承においてのダメージは相当だったでしょうね。


この隔離同化政策を扱った映画があります。邦題は「裸足の1500マイル」。強制的に収容所に入れられたアボリジニの少女3人が、母親の元に帰る為に、故郷目指して歩き続ける話です。
オーストラリア西部を5000マイルにわたって縦断するウサギよけのフェンス(当時ウサギが大繁殖して牧畜に被害が出たので設けられた)をたよりに、追跡されながらも、大自然の中を歩き続けた少女達のお話です。

実はこれ、実話です。
後年、少女達の1人であった方が書いた「Rabbit Proof Fence(ウサギよけフェンス)」という本が原作。
ご覧になった方も多いんじゃないでしょうか。

因みに1500マイルというのは、キロに直すと2400キロ。稚内から那覇までの距離です。過酷な状況の中、母会いたさにそんな距離を歩いた少女達がいたんだと思うと、改めてこの政策のむごさを感じますね。

オーストラリアの歴史〜最初の居住者アボリジニ〜

オーストラリア大陸の先住民であるアボリジニのルーツは、東南アジアから移住してきた人々だといわれてます。時は約5万年前。当時は海面が今よりも200m低く地続きであった為に、アボリジニの祖先となる人々は移住できたといわれているそうです。

移住してきた人々は着々とオーストラリア大陸全土に散らばって部族毎それぞれの生活を営んでいったそうです。

地理的にはその後の海面の上昇によってオーストラリアは一つの孤立した広大な大陸になりました。この孤立した地理的環境がアボリジニ独特の生活を生み出したそうです。

狩猟や採集による生活を営んでいたアボリジニには、後にアジア大陸で始まった農耕文化は伝わらず、その後も長い間ずっと狩猟・採集生活を続けてきたそうです。その自然の恵みに頼るアボリジニの生活が、彼ら独特の世界観を形成しました。その自然崇拝的な彼らの世界観からなる独特な生活様式や文化を伝えるべく生み出された歌や踊りや絵もまた独特なものです。

また、ひとくくりにアボリジニといっても多数の部族があり、それぞれに言語も文化も違います。アボリジニがオーストラリア全土に広まる過程で、様々に固有文化が派生したようで700を超える数の部族がいたそうです。
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